法遠去らず‥

In 私ノ茶乃湯考 by user

こんにちは!

今日は「法遠去らず」のお話をします。

さて、心が感動をおぼえるほどの逸話は滅多にあることではありません。

ましてや、その話が、自分の人生にも大きな影響を及ぼすものとなるとなおさらではないでしょうか。

「法遠去らず」この逸話は、私にとっても思い出深く、その感動の気持ちが今も稽古の支えになっています。

登場人物は、法遠禅師と葉県禅師であります。

この法遠禅師は、961年~1067年にかけて活躍された禅侶で、とてもお厳しいとされた葉県禅師のもとで不断の修行をされた方であります。

葉県禅師は「厳冷枯淡」というお人柄で世間では、有名であったようです。

「厳冷」とは、冬の厳しさのように態度が厳しく、近寄りがたいことをいいます。

そんなとても厳しい葉県禅師のもとで、若き修行僧の法遠と義懐は、入門を乞いました。

昔から禅門では簡単に入門を許さないとされています。

今日でも禅宗では、「庭詰」と称し、入門を乞う者は、玄関先で頭を下げ続けるようです。

冬の如き厳しいお人柄で鳴り響いていた葉県禅師に、何日も法遠は入門を乞うのですが、容易には、許されませんでした。

冷たく雪が舞うある日、ようやく法遠の前に葉県禅師が現れたと思ったら、入門を乞う修行僧達の頭に冷たい水をかけるのです。

あまりのひどい仕打ちに耐えかねた、修行僧達は皆一目散に逃げていきました。

しかし、そのような仕打ちを受けても法遠と義懐は去りません。

水をさらに打つぞと脅す葉県禅師に対し、法遠は「私は禅を求め、老師のもとに参りました。一杓の水くらいでどうしてここを去りましょうか。どうして逃げましょうか」と伝え、ようやく入門を許されました。

法遠が典座という、修行僧たちの料理の係を仰せつかっていた頃、葉県禅師の「枯淡」ぶりは人の想像をはるかに越えておりました。

その厳しさゆえに修行僧のみんなは、大変な飢えに毎日苦しんでいました。

ところがある日、葉県禅師が用事で出かけるというので、法遠はみんなのために蔵から油と小麦粉を取り出し「油麺」を特別にご馳走しました。

ご馳走をさぁみんなで食べようと思ったその時、師の葉県禅師が予定よりも早く帰ってきました。

その行いを知った葉県禅師は、法遠を僧堂の外に呼び寄せて、激しい炎の如く叱ります。

油麺に使用した小麦粉と油の代金を請求して、法遠を杖で激しく三十回ほど打ち、寺から追い出しました。

法遠の友たちは「私たちのためにしてくれたのです」と代わる代わる師の葉県禅師に法遠の許しを願いますが、一切聞き入れてもらえませんでした。

修行僧の仲間がいくら取りなしても葉県禅師は聞く耳を持たず許さないのです。

その頃、法遠は請求された食材の費用を返すため、町で托鉢をしていました。

托鉢をしてコツコツと返済していきます。

ところがある日、葉県禅師が寺の外に出たところ、法遠が寺の敷地内に居住しているのを見つけます。

烈火の如く怒る葉県禅師は、さらに家賃を支払うように法遠に求めます。

そんな厳しい態度、容赦ない仕打ちにも法遠は、嫌な顔ひとつ見せず、めげずに町を托鉢してそのお金も返済していきます。

ある日のこと 、葉県禅師が寺の外に出てみると、厳しい風雨に耐えて托鉢する法遠が目に入ります。

その姿を見た、葉県禅師は寺に帰ってみんなに言いました。

「法遠こそ真の参禅者である」と言い、法遠を寺に呼びもどし、自らの後継者にされました。

今の令和の時代なら到底考えられないような、ひどい仕打ちの話であります。

人によっては、パワハラやいじめともいうのではないでしょうか。

それでも、ひたすらに忍耐され、万里一条の鉄そのもの如き法遠禅師の求道への志の尊さを偲ばざるを得ません。

どうして葉県禅師は、こんなにも法遠禅師にお厳しい姿勢を一貫して取られたのでしょうか。

聞くところによると葉県禅師は、他の修行僧に対しては、ここまでの厳しさをもって、接してはいなかったようです。

もしかしたら、葉県禅師は、法遠禅師なら耐え抜けると信じて、厳しく鍛えられていたのかもしれません。

きっと葉県禅師は、この法遠ならば、乗り越えて、わしの跡を継げるほどの逸材になると見込んでいたのかもしれないですね。

昔から禅の修行僧は、行雲流水などと言われてきました。

雲行くが如く、水が流れるが如く、自由自在に師を求めて行脚をするようです。

しかしながら、行く先にいる師や修行する道場の欠点ばかりを気にして、不平不満ばかりをいうようでは何にもなりません。

ましてや、師をコロコロと変えていくほど浅ましいこともないのではないでしょうか。

私は祖母のもとでずっと茶道のお稽古しておりますが、とても厳しい師匠であり、とても優しい祖母であります。

茶道に血縁は関係ないと利休さまが言われたように、私も家族だからといって、祖母から特別扱いを受けたことはありません。

むしろ、他のお弟子さんと比べられないほど、とても厳しかったと思います。

さて、その厳しさをこう表現するのは、とても恐れ多いのですが、禅侶の修行のようであったと思います。

しかし、そんな厳しい祖母も茶道の稽古から離れると、仏様のように優しいのです。

25年間のうち最初の10年間は、徹底的な茶室の掃除、水屋仕事、そして薄茶の平点前のみです。

6~8時間以上の正坐、すなわち長時間の一対一のお稽古が常で、長い時は、早朝から夜までお稽古するということもありました。

そんな長時間の中でも他のことは「見て学ぶ」「見て会得」することを求められました。

幼いころは、それでも楽しかったのですが、だんだんとなぜ他のことを教えてくれないのだろうか、こんなにも出来るのにと反抗心を抱いたこともありました。

しかし、そんな反抗心もそうは長く続きませんでした。

ある時「法遠去らず」の逸話を聞き、心と身が震えるような感動を覚えたからであります。

それと同時に「白珪尚可磨」の言葉を知ったからであります。

「白珪」とは、それは見事で美しい、完全無欠の宝玉をいいます。

その完全無欠で輝き溢れる玉を、なおも磨きなさいという意味がある禅語であります。

磨きようのないものでも、さらに磨く、これでよいとは一切思わず、不断の努力を求める厳しい言葉であります。

堀内宗心宗匠も著書のなかで「これで充分できると自分で意識したとき、もう一回同じことを繰り返す。これが稽古です」としたうえで、茶道では「人」をつくるのが、薄茶の平点前であるといわれました。

そして、禅の坐禅、茶道の薄茶平点前は人をつくるという共通点をもっていると明らかにされました。

「茶禅一味」この言葉ほど、茶道と禅の親和性をあらわしたものはないかもしれません。

このことを祖母は知っていたからこその厳しい接し方だったのかもしれません。

このような経緯があり、私の可愛い抵抗の炎は、見る影もなくあっという間に鎮火したのです。

「茶道の稽古はあきらめない、やめない、いじけない、逃げ出さない。ただひたすらに」と思えるようになりました。

「法遠去らず」と心に深く刻んで稽古を励むようになりました。

以来、20年、祖母のもとで熱心にお稽古をさせていただきました。

そして、二十歳そこらの未熟な若者に茶道の師匠として弟子をとり、茶道の教授をしていくという大役を与えてくださいました。

茶道を教授するお許しをお家元であられる猶有斎宗匠、祖母の宗弘より与えられてから、お弟子を指導して5年が経ちました。

あわせて25年間、現在もお稽古をさせていただいておりますが、一時もこの「法遠去らず」を忘れたことはありません。

稽古人のみならず茶道の師匠としてもまだまだ未熟な私です。

一生をかけても、炉の激しい炎に身を投じるほどの努力をしても、茶道は未完で終わることでしょう。

祖母はよく「茶道のお稽古は一生もの。どんなに偉くなっても、どんなに点前ができても、どんなに物事を知っていても、茶道のお稽古は一生もの。心磨きも一生もの」といいます。

この言葉をこの先も大切にしていきたいです。

さて、このように茶道を直向きに歩めてきたのも「法遠去らず」の逸話のおかげなのであります。

祖母や社中の皆さまのおかげさまです。

葉県禅師の法遠禅師への仕打ちをひどいと思う方もいるかもしれません。

しかし、世の中を歩むこと、世の中を生きるということ全てが道理に叶うことばかりではありません。

時には「なぜこんな目にあわないといけないのか」「もう逃げ出したい・・」と悲憤慷慨することも大いにあると思います。

しかしながら、そんな時こそ、私たちの人間としての真価が問われています。

あきらめる癖がつくと、あきらめることが当たり前の人になってしまいます。

逃げる癖がつくと、色々なことから逃げるような人になってしまいます。

そんな人生、苦しいではありませんか。

ましてや、逃げる時やあきらめる時、いくらでも弁解できるような人間になることほど自分が嫌になるものはないはずです。

なにがあっても、なにが起きても山の如く動ぜず、忍べるような人に私たちはなりたいと心の奥底では、思っているはずです。

かつて昭和天皇はこのような歌を国民に残しました。

「降り積もる 深雪に耐えて 色変えぬ 松ぞ雄々しき 人もかくあれ」

どんなに厳しいことが自分にのしかかってきても、顔色ひとつ変えない松のように雄々しくも美しく、自分も生きていきたい。そんな願いを人は持っているはずです。

厳しい冬雪の中、入門を幾日も乞い、激しい風雨にたえて托鉢された法遠禅師のような魂は私たちにもあります。

この忘れ難い「法遠去らず」を胸にご一緒にお稽古を精進していきましょう。

私の拙い文章を最後までお読みいただき、ありがとうございます。

合掌。

佐々木 宗芯(心徹)