「武士道とは死ぬことと見つけたり」
これは『葉隠』の中に出てくる、よく知られた言葉であります。
この言葉だけを聞きますと、命を軽んじ、死を尊ぶ教えのようにも受け取れます。
しかし、本当にそうなのでありましょうか。
命をかけても成したいこと、また、成さねばならないことがあるとわき起こるものがあるのなら、そこに志という御旗を立て、神仏に命を託しながらも、自分のできる限りを尽くして、その務めを果たしてゆこうとする人々の生き方としての道を示すものではないのでしょうか。
死を思い、考え、命のあてどころを覚悟するとは、むしろ、生を尊び、今をどのように生きていくのかを定めることであるのかもしれません。
命を惜しむあまり、なすべきことから逃げるのではなく、生きることという本能にのみ執着し、逆に生を軽んずる生き方になるのではなく、尊いいのちをいただいた者として、そのまばたきをするほどしかない今の生を精いっぱい生きて尽くしていくという一人の人間の雄叫びをあげる大切さを武士道は説いているともいえます。
そこには、死への執着ではなく、生への執着でもなく、生死を越えた命の輝き、躍動、そして覚悟というものがあるように思います。
表千家のお家元であられた即中斎宗匠は『埋れ草』の中で「利休居士以来、私の家の茶道は、武士の意地のお茶であるとの信念の下に代々相承しております。そのいうところは、単に武士のやる茶道という意味でなくして、武士道の性格を持った茶道と申しますか、それを確固不抜の信念を以て保持しておるのであります」と、このように書いておられます。
ここでいう「武士の意地」とは、強がることでも、立派に見せることでも、ましてや人に勝つことでもないのでありましょう。
一度、志した道を、簡単には曲げず汚さず、正しき見方を養い、黙々と歩み続ける姿勢をいうのではないかと思うのであります。
その心に、茶道と武士道との深いところでのつながりがあるのではないでしょうか。
新渡戸稲造先生が明治三十二年(一八九九)に英文で著した『武士道』も、よく知られた書物であります。
新渡戸先生は武士道を、義、勇、仁、礼、信と誠、名誉、忠義、克己といった徳目から説いています。
人として何が正しいのかを考え、勇気をもってそれを行い、人を思いやり、礼を重んじ、誠を尽くし、名誉を大切にし、自らを律してゆくことが武士道の中心だと説きます。
武士道とは、単に武士の生活の仕方を説いたものではなく、人としての生き方、その心の持ちようを問うものであったのでしょう。
その「礼」の中で、新渡戸先生は「茶の湯」を取り上げています。
以下は『武士道』の要約です。
茶道の作法には道具の扱い方に明確な手順を定めています。
さほど茶道を知らない初心者から見れば、それら動作を退屈に思うでしょう。
しかし、その動作は結局には最も時間・労力を節約するものであり、最も効率的で合理的な力の使い方をしているといえます。
この力の使い方はもっとも優雅なものの発見ともいえます。
茶道の必須の要素、目指すべき目的は心の平静、気持ちの静穏、立ち居振る舞いの静けさと落ち着きといったものにあります。
これらが正しい身体の使い方に導き、そして、心を正しくあろうとすることを第一条件におくことに疑いはありません。
茶道は見せ物、儀式という枠組みをはるかに超えたもの、それは芸術であり、洗練された動作に基づく詩で、魂を磨き、精神を修養する実践の方法であります。
茶道の最大の価値は、この最後にあげた精神修養の点にあります。
茶道の愛好者には、それ以外の点に重点を置くこともしばしば見受けられますが、それは茶道の本質が精神的性質によるものではないとの証明にはなりません。
礼に優雅さを加えるだけでも大いに意味あるものですが、それだけに留まらず、礼は思いやりと謙譲を動機として生まれ、他に対する優しい感情によって始動するものなので、いつも優雅な思いやりとして現れます。
そして、武士道における茶道とはこれらに裏付けられた精神を厳格に遵守することで育まれてきた、道徳的な訓練の方法のことなのです。
さて、茶道とは、ただ湯をわかし、お茶を点て、飲むことという何も特別なものではありませんが、何らごくごく当たり前の中に大きな意味を見出していくのが道ともいえるのでしょう。
そして、礼とは、形だけのものではありません。
まず人を思いやる心があり、相手を敬い、自らを一歩引き、謙譲になる、その心が形となって現れたものが礼であります。
優雅さのために礼をするのではなく、思いやりと謙譲の心があるからこそ、そこに自然な優雅な所作が生まれるのでありましょう。
そして、武士道における茶道とは、こうした精神を身につけてゆくための、道徳的な訓練の一つであったのであります。
武士道には「恥」を恐れる心がありました。
生き恥をさらしてはならないという考え方にもつながるものであります。
しかし、茶の湯を稽古していた武士たちは、それとは別の意味で、自らの「恥」と向き合っていたようにも思います。
かつて茶道を稽古していた武士たちは、大きく穂先の多い茶筅を使い、それを自らの未熟さを示していたとされています。
武士であれば、威厳を示したくなることもありましょう。
人に立派に見られたいなど、社会を動かしていた階級ならではの、葛藤や思いなどもあったと思います。
しかし、茶道の道場では、そうした心をいったん脇におき、自己を見つめて、人格を向上していたのだと思うのであります。
そこには、武士が見出していた「恥」のさらに先にあるものが輝きあることを知っていたからなのでありましょう。
自己の未熟さを真正面から受けとめ知り、自分の思い上がりに気づき、そして、静かに自分自身を見つめて、さらに人格を向上していき、人々のために生きようと思い確かめる、武士たちの生き様が見えてくるのであります。
茶道は、そのような武士たちの修行の場でもあったのでありましょう。
鎌倉・円覚寺の管長を務め、また花園大学の学長として、禅や仏教の教えを海外にも広められた釈宗演老師は、生きることについて「私たちがこの世に生を享けたのは私たちの本来の智慧に目覚めるためであり真理の導くところに従って人間性を陶冶するためです」と語られていたようです。
この世に生を受けたのは、ただ自分の欲望のまま生き、そして苦の海に溺れ死ぬことではなく、本来の智慧に目覚め、仏道の説くところの人としての心を磨いてゆくためであるということなのでありましょう。
弘法大師空海さまは
若しは行、若しは坐、道場即ち変ず。
眠りに在りても、覚たるに在りても、観智離れず
と説いておられます。
歩いていても、座っていても、そこは修行の場であり、眠っていても、起きていても、仏さまを思い続けるという意味であります。
修行の場は、どこか特別なところにあるのではありません。
今ここにある生活そのものが、修行の場なのであります。
茶人であれば、「茶は常のこと」という思いをもって、何をしていても、それが稽古であり、修行であると受け止めてゆくことが大切なのでしょう。
茶室に入った時だけが茶道なのではありません。
人と接するときも、仕事をするときも、家にいるときも、食事をいただく時も、歩いているときも、眠るときでさえ、仏法から、仏さまの御心から離れないということが茶人の理想的な生活態度なのであります。
いつ、いかなる時にも、茶禅の一念から離れず、道忘れることがない、それが茶人の究極の生き方なのであります。
そのように日々を暮らし、念じゆくからこそ、少しずつ茶人としての深みが生まれ、同時に人格も自然と磨かれてゆくのでありましょう。
茶道の稽古をしている時だけが修行ではありません。
その稽古によって積みかさねてきた心を、日常の中でどのように生かしていくのか、そこに本当の修行があるのかもしれません。
古くから「実るほど頭が下がる稲穂かな」と申します。
稲は、実れば実るほど、その穂を低く垂れてゆきます。
茶人もまた、修行を重ね、道の学びが深くなるほどに、自我を中心におく世界から少しずつ離れていき、尽きることのない慚愧懺悔を中心とした自分なりの茶風が清らかに吹く、茶道の理想郷をこの世に建立していくことができるのでしょう。
そして、無我から清泉のように出てくる慈悲の一念をもって、人々のために道を歩んでいこうと思いを日々あらたにしていくのでしょう。
それが本当の意味での「実り」なのではないでしょうか。
修行を尽くし、また修行を続けたその先にあるものは、何か特別な境地なのではなく、ただ素直に、ただ謙虚にという果てしない修行の連続といえるでしょう。
一服のお茶を点て、仏さまに供え、人にも飲んでいただき、私もいただく、そんなごくごく当たり前の中に仏心の交わりがあるのだと思うのであります。
命をかけてでも成さねばならぬこと、それは、磨きようのない心でさえも磨き続け、汗水流して心の畑を耕し続け、私のため人のためと、このかけがえのない一度限りの人生を全うし、実りある最後を微笑みとともに迎えることでしょう。
生きて、生きて、生きていかなければ、死にきれないでしょう。
死んで、死んで、死んでいかねば、生ききれないでしょう。
そのように念じ、一日一日を歩んでゆくところに、茶人としての真実の道もまた開けてくるのでありましょう。
最後までお読みいただきありがとうございました。
佐々木清竜(黙雷)
