先日は京都の香老舗松栄堂さまの主催の「第三十九回 札幌お香とお茶の会」がございました。
約200名の方々が私ども表千家流のお席にお足をお運びくださいまして、とてもありがたく思いました。
思えば初めて松栄堂さまの「お香とお茶の会」のお手伝い、いえお勉強をさせていただいたのは、小学三年生の頃からでしょうか、社中にはお着付けの先生もいたので、その方に袴と着物を着付けていただき、大寄せのお茶会のお運びのお勉強をさせていただいきました。
初めての大きなお茶会、そのころは今よりも多くの方々が集い、賑わいに溢れ、あちらこちらを見渡しても、色とりどりの美しい着物姿の先生方がおりました。
当時、幼かった私を多くのご高齢の先生方が可愛がっていただき、優しくお声をかけてくださり、また多くの励ましをいただきました。
先生方は毎年の「お香とお茶の会」において、会うたびに「ずっと茶道を続けて立派な茶人になってくださいね」「お茶を嫌いにならないでね」「佐々木先生の跡を継いでいってくださいね」「いつか茶道を教える立場になってお弟子を育てられるようになってね」など温かく、思いに満ちたお言葉を頂戴してきました。
友人と街中を歩いているとお声をかけてくださった先生方もおりました。
おかげさまで色々な苦しみがあった中でも、お茶を嫌うことはなかったですが、先生方が言ってくださったような立派な茶人にはなれず、申し訳なく思うばかりです。
今は師の恩深く、そして多くのご縁にいかされ、お弟子を育てていく茶道の師として歩んでおりますが、尽きることのない慚愧懺悔ばかりで、お弟子を育てていくような力量もなく、恥ずかしいばかりです。
コロナという未曾有の危機が日本を覆い、暗い年月を重ねていたのは、何年前でしょうか、数年にも及ぶ自粛の最中、引退された先生、お身体を悪くした先生、亡くなられた先生など全国的に多かったと聞き及んでおります。
当然、松栄堂さま主催の「お香とお茶の会」も自粛を余儀なくされました。
やっと再開された会ですが、お声をかけてくださった先生方をお見掛けすることはなく、なんだか寂しくも思いました。
先日、祖母が教えている子に四歳の頃からお茶をしている男の子がいるのですが、その子は小学六年生になり、袴姿で久方ぶりにお会いしました。
水屋で準備をしていると袴姿の大きな男の子が入ってきて荷物をおろし足袋をかえていたので「お裏さんの子が間違えて入ってきたのだろうか」と思い、振り返るまで待っておりました。
お顔を拝すると、その男の子の面影がしっかり残っており、すぐにわかりました。
立派に成長され、とても嬉しくなり、感慨深いものがございました。
男の子はお茶が大好きなようで、お菓子器、お茶のお運びも率先してくださり、その後ろ姿を半東として席中を見ていた私は、かつての自分を見ているようで、なんともいえない温かな記憶、初心を呼び起す気持ちになったのでした。
聞けば着用している袴も幼かった頃に私が着けていたものを祖母が贈ったもののようで、より懐かしさを深めていたのかもしれません。
弘法大師空海さまは『御遺告』の中にこんなお言葉を残しております。
諸の弟子等を恃んで、忽で永く即世せんと擬するなり
お弟子たちに後事を託して、永遠の瞑想に入ろうときめた、という意味があるとされています。
天才であり稀有なお大師さまのようにはなれなくても、お大師さまの経験や思想を受け継ぎ、後世に続けていくことは思いがあればできるでしょう。
すべて一人で抱えて余さずお大師さまの深淵無量を受け継ぐことは困難であったとしても、志ひとつ持つ修行者がそれぞれの得意とする分野で継承していけば、後世に残るものなのではないかと思うのです。
だからこそ時代時代の優れた修行者たちが結集し、またそれぞれのお働きで人々のために向き合ってこられたからこそ、千年以上経た今日でもお大師さまのみ教えは日本に伝わり続け、遍く光となっているのだと私は思うのであります。
お大師さまほどの高徳の祖師でさえ、すべてを一人でやろうとはせず、弟子たちを育てて、後を託そうとしていたからこその今日の私たち仏縁となっているのです。
茶道も千利休より侘び茶が大成されてから今日に至るまで脈々と茶道が続き継承されているのは、お家元のお力も大いにあるでしょうが、一人一人の茶人たちの道の積みかさねの賜物によりではないでしょうか。
その尊さを茶道を歩む私たちは忘れてはいけないと思うのです。
どなたでしょうか、ある老師が「形のみを継承させていくのは難しいことではない。難しいのは心から心へという心を継承をしていくことだ」というのをご著書で書いていたのを思い出します。
茶道も当然、形というものは疎かにはできず大切なものではありますが、何より大切に継承していかなければならないのは、心というものでしょう。
山本玄峰老師という高僧は19歳の時に失明宣告を受けて、人生に絶望し、死に場所を求めて、四国遍路に出かけ、たまたま倒れたところが臨済宗のお寺で、そこの和尚さまに助けられ、出家を志、その和尚さまに「眼は見えなくなるかもしれないが、心の目を開けば、本物のお坊さんになることはできる」といわれたとされています。
その心の目のことを山本玄峰老師は「性根玉」と呼び、このようなお言葉を残しております。
みがいたら
みがいただけの
光あり
性根玉でも
何の玉でも
心の目とは見性、いわゆる悟りとも呼ばれたりするものですが、これを「気付き」と表現する和尚さまは多くおります。
堀内宗心宗匠も「茶は菩薩道、悟後の所作なり。未だ見性せざる時は逐一ゆるかせにすべからず」と「茶の語」で語り、見性することは菩薩になること、茶の湯の一挙手一投足がこの中にあらねばならない、と茶人に説いております。
菩薩さま、それは一心に悟りの道を求め、修行を重ねられ、目の前で苦しむ人々のみならず過去現在未来の三世において苦しみ助けを求める人さえも余さず助けたい、救いたいと常にお働きくださる方をいいます。
そのような菩薩さまは実は私たち一人ひとりの中にいる心という名の光明ではないかとも思うのであります。
過去に受けた傷が疼き痛み苦しみ、現在に苦しみ、未来をおもい苦しんでいたとしても、自分を助けたいと一心に思ってあらゆるお働きを出そうとしているのは、ほかでもない私たちの心なのです。
苦しみの先に最終的に行きつくのは道しかなく、それでしか根本の苦を取り除けない人もいるのであります。
そして心中の菩薩心に少しずつでも目覚め、よりよい形でその心を出てこさせるために修行はあるのでしょう。
修行への最初の一歩は自分自身の今までの悪事や汚さ、醜さを慚愧懺悔し、真正面から受け止めることから始まります。
それは最初の一歩でありますが、生涯にわたり慚愧懺悔を行い続けなければならないと思うのであります。
それが性根玉を磨くということになるのだろうと思うのです。
この世に一切の悪をしていない、一切の善い事しかしてないから反省点はないと豪語できる人はいないと思うのです。
もしそういう思いに支配されているのであれば、その方は修行者ではないのでしょう。
真正面から自分を見つめる思いを抱えながら、自分の大きな煩い苦しむ、自分を中心とした世界を少しずつ手放していったとき、次は目の前の人のために何かをさせていただきたい、そんな真実な思いに溢れたときにその方は菩薩さまそのものとしてこの世に出てくるのでしょう。
そうして菩薩となり世に生まれ出た者は、目の前の人それぞれに合わせて、過去現在未来に至るまでともに慈しみ、悲しみ、喜び、我を忘れて、交わっていくのだと思うのであります。
願心なきは菩薩の魔事なり、という言葉もあるように、 善がなく、悪ばかりの汚い私ではありますが、人々をおもう願心を持ち続けて、この道を歩んでいきたいと思うのであります。
衆生無辺誓願度にはじまり、衆生無辺誓願度で終わる人生で私はありたいです。
茶人の一人ひとりが菩薩心に目覚め、茶道の世界が世間の人々にとり、かけがえのない光明となるように願うばかりです。
混沌の今時代、そんな時だからこそ、お茶の力が必要なのかもしれません。
最後までお読みいただきありがとうございました。

佐々木 清竜(黙雷)
