内弟子を迎えて

In 私ノ茶乃湯考 by user

先月は、内弟子さんの迎え入れから、宗渓さんの宗名披露のお茶事などたくさんのご縁に恵まれ、なんとも有難い連続でございました。

内弟子に迎えるかどうかの面談の日、志竜さんは来庵の日時より2時間ほど早く着き、門前で立ったまま静かに待っていました。

朝の読経も聞こえていたようで、ご一緒に読経しながら心静かに待っていたようです。

時間になりましたので宗渓さんの案内のもと、入室していただき、巻紙で書いた志の深い長文のお手紙をいただきました。

書いてこられた内容もとても心打つ名文であり、志竜さんの茶道に向けた熱い志が感じ取られるものでございました。

正式に内弟子さんとして受け入れるかどうかの判断にあたり、いくつか厳しい問答をさせていただきました。

その問答にも頑張って答えられており、正式に当庵の内弟子として受け入れることを決めました。

志竜さんのこれからの人生に私が全責任をもち、ご一緒に茶道の修行に励んでいければと思っております。

志竜さんとは、寝食をともにすることが長い間のお付き合いで多く、今まで内弟子さんのような状態でありました。

そのようなあやふやな状態ではダメだと思った志竜さんの茶道に向けたお志の深さをあらたに感じ取ることができました。

私が茶道のために出家する決断をしたときも、ご一緒に出家すると言っていただき、本当に頭の下がる方でございます。

内弟子さんに正式になっていただくにあたり、三十七箇条の戒め心得をお伝えいたしました。

現段階での戒め心得は三十七箇条でございますが、今後も必要とあれば増やしていくつもりです。

三友庵内弟子心得

一 三友庵の内弟子として自らを律し、利他の精神のもと自己研鑽に励むこと。

二 礼を大切にし、和敬清寂の四規を常に心にとどめること。

三 茶道は常の事とよく心得て、日常生活の一挙手一投足の中に茶の心を生かすこと。

四 茶道は仏法をもって修行得道することであると心得ること。

五 茶道は菩薩の道であると心得えて、菩薩行を大切にすること。

六 六波羅蜜(布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧)の修行をすること。

七 清浄な大欲を抱くこと。

八 五大願を誓い、大切にすること。

九 悪いことはおこなわず、善いことをおこなうこと。

十 慚愧と懺悔を一番大切にし、常に忘れないこと。

十一 虚飾をはいし、素直な心で茶道と人と向きあうこと。

十二 利休居士の教え、歴代御家元、師の教えを心に念じ、決して忘れないようにすること。

十三 道をさまたげるものを遠ざけ、集中するべき大事を見誤らないこと。

十四 平点前の修練を怠ることなく励み、お茶の精神を心と身に植え付けること。

十五 最初に抱いた志を忘れず、覚悟をもって茶道と向きあうこと。

十六 我慢と我執におちることを戒めること。

十七 穢れた言葉を使わないこと。

十八 自慢をひかえること。

十九 すべての人に対し平等の心をもって接すること。

二十 偉ぶらないこと。

二十一 地位を求めないこと。

二十二 栄誉を求めないこと。

二十三 茶道具を多く欲しがらないこと。

二十四 賭け事をしないこと。

二十五 お酒を飲まないこと。

二十六 肉食をしないこと。

二十七 妻帯をしないこと。

二十八 感情のおもむくままに行動しないこと。

二十九 人をよく助け、人に寄り添うことを忘れないこと。

三十 不断の努力をもって、茶道の修行をすること。

三十一 茶人としてのあるべきようを深く探究すること。

三十二 茶人としての覚悟をもち、道を一心に歩むこと。

三十三 茶人として一生涯、茶道の修行をすること。

三十四 茶人として茶事をたくさん一生涯ですること。

三十五 心のある一服を七万服点てること。

三十六 身命を賭して茶道をなすこと。

三十七 後の世の人々のための道の燈明を必ず残すこと。

三友庵の内弟子として、三十七箇条の戒め心得をよくたもつこと。

自分にも向ける戒め心得なり

宗芯清竜

とても厳しい戒め心得にも感じられると思いますが、これからの茶道には、これくらいの覚悟を道のために保とうと努力する少数の者もいなければ、ますます遊びや享楽によってしまうと思うのです。

それでは、俗的な茶が支配的になってしまい茶道の世界のバランスが崩れてしまうと思うのです。

古の茶人たちが清浄無垢な仏菩薩の世界を理想としてきた、茶世界を後世に残すことができないのはもったいないことだと思うのです。

だからこそ私はお弟子さんとともにお茶の理想を目指し、そして、志竜さんにこの戒め心得を伝える以上、私自身、この戒め心得を誰よりも厳守して、自分を厳しく律し、慚愧と懺悔を繰り返しながら、道を歩んでいきたいと思うのです。

この戒め心得を志竜さんが破ったところで私から何も言うつもりはありませんが、私はこれを守れるような茶人になれるように心身を茶道に捧げていきます。

さて、とても古い同門の会報誌を読んだことがあります。

その中には「かつて茶人は社会の精神的指導者として世間に尊敬されていたが、昨今は急激な茶道の趣味人の増加で茶人の質が落ち、世間から疎まれるような存在になってしまった」といった内容が書いていたのを思い出します。

趣味や遊びとしてする茶道の世界があってよいと思いますが、修行的な要素、精神的な要素を強く意識しなくても、心に深まりを感じられる茶道だからこそ知らず知らずのうちに魔におちないようにしなければならないと思います。

修行や稽古をしている人で陥りやすい危険な性質の一つに「私は修行稽古している人間だから人より偉い」「人と違うのだ」と思い、自分を過信し、目下の人間を馬鹿にし、他人を見下す慢心があるので、私自身も気をつけなければならないと深く思います。

茶人は、人の前につく茶の一字に魅入られ魔におちないようにする心の指針を持たなければならないのではないでしょうか。

そのうえで、毎日の慚愧と懺悔を習慣化しなければならないのだと私は思います。

茶人としてのあるべきようを深く考え、この世のなかで少しでも人様のお役に立てるように、世のため、道のために精進していかなければならないと思うのであります。

さて、令和二年の文化庁の『生活文化調査研究事業(茶道)』の報告書において、茶道の人口は二十年で減少しているとされています。

平成8年段階では262万人いたのに、平成28年では176万人まで減少していると報告書では書いております。

しかし、現在はコロナなどの感染症、経済的要因から茶道を離れる人も多いのではないかといわれており、茶道人口は100万人ほどではないかともいわれているようです。

私の肌感覚でも、茶道をやめた方、引退した先生なども多く感じられ、とくに行事に出ると減少している現状がわかります。

しかし、当庵のお茶会は茶道の先生方も多く来てくださりますが、一般の方の参加も多く、例年100名~200名の方がご参加くださいます。

ある時は400名ほどのお客様がお茶券を購入してくださり、大変びっくりしたことがあります。

その中で一般の方のお話を聞くと、茶道に興味のある方が多く、とくに若い層は茶道に憧れがあるようです。

若い層の方は、精神的な要素を茶道に求める気持ちが強いように感じられます。

このような現状でありますが、無理に茶道人口を増やさなくても良いように感じます。

一時は茶道は教養を身に着けるため、花嫁修業的期待から興隆しましたが、本来の茶道はごく少人数の人のためのものであり、100人以上が集まるような大寄せの茶会ではなく、1人から3人ほどの人数でお茶世界を楽しむものでありました。

それが本来のわび茶の形だとも私は思うのです。

お茶を好まれていたとされる弘法大師空海さまはこのようなお言葉を残しています。

茶湯の淡会を設け、醍醐の淳集を期す

意味

質素な茶会を開き、最良の人たちの集まりになるように心を決める

絢爛豪華な道具、豪華な食事、珍味、酒を用意しなくとも、素晴らしい人たち、心を通わせられる親しい人とのお茶の会話を楽しむことを茶道は最良の喜びとするのです。

『南方録』にも「宗易の云く小座敷の茶の湯は、第一仏法を以て修行得道する事也。家居の結構、食事の珍味を楽とするは俗世の事也。家はもらぬほど、食事は飢ぬほどにて足る事也。是れ仏の教、茶の湯の本意也。水を運び薪をとり、湯をわかして茶をたてて、仏に供へ、人にも施し、我ものみ花をたて香をたき、皆々仏祖に行のあとを学なり」とあります。

私たち茶人は、一服のお茶、それで心が大きな喜びを感じられるようなひとときのお茶を大切にしていきましょう。

最後までお読みいただきありがとうございました。

宗芯清竜