和敬清寂

In 私ノ茶乃湯考 by user

先日、官僚を目指して努力している思いの深いお方がお茶を飲みに来てくださいました。

お話を聞かせていただいておりますと、日本を思う気持ちのある方でこういう方が日本を担っていけば、よりよい日本社会になっていくのではないかという思いを抱かせていただきました。

この頃の日本から「和」という言葉が失いつつあると言われています。

この日本に古くから根ざしている和の精神はめぐっていくと聖徳太子の時代まで遡ります。

ご存じの方も多いと思うのですが、聖徳太子は仏教を日本に広められ、その仏教の教えを根幹とした十七条憲法を制定されました。

その第一条に「和を以て貴しとなす」が定められ、私たち日本人が和の精神を育んでいくことが目標とされました。

和の精神とは、お互いの異なる価値観があったとしても、対立することなく、よく話し合い、お互いが仲良く支え支え合い、和合を求めていこうという崇高な目標があるとされています。

その他に和のつく言葉に、和顔という言葉があります。

和やかな微笑みを相手に向けることも布施の一つなのです。

さて、茶道では利休さんの根本的な精神を表した和敬清寂という言葉を大切に育んできました。

未熟な私が和敬清寂のお話をするには、恐れ多いことなので、一つの感想だと思い、お読みいただければと思います。

和とは、和やかな心と微笑みを忘れずに、打ち解け合い、和合を求めていくことをいいます。

敬とは、我が我がと先んじてしまう心を戒め、一歩引いて老若男女問わず相手を立たせ、謙虚な心で人やお茶を敬い、集中して向きあうことをいいます。

清とは、自己を徹底的に見つめ、仏道の清らかな生き方に心を寄せ、清らかな心で人々と交わることをいいます。

寂とは、涅槃寂静のことをいいます。

和敬清寂は一つ、一つが分かれているものでもあり、まとまっているものともいえます。

その故は最後の寂が三つを包んでいるとも考えることができるからであります。

その寂のお話ですが、先にお釈迦様の教えをご一緒に学びなおしたく思います。

お釈迦様は諸行無常、諸法無我、一切皆苦、涅槃寂静の四法印という教えを私たちにお説きくださいました。

すべてはうつり変わりいくもので常であり続けるものはない、永遠不滅のものはないという諸行無常、これが自分だとか、これが自分のなどというものははじめからないのだという諸法無我、世の中は楽ではなく苦ばかりなのだという一切皆苦、煩悩を智慧により切断し終えて、無明がのぞかれ、二度と苦しみの錯覚の世界に入らないという状態の涅槃寂静です。

出家者はこの涅槃寂静を求めて修行を重ねていくのですが、この涅槃寂静の状態とは、佐々木閑先生いわく心の苦しみが一切生じない状態、楽や苦などが起きず何事にも動じない平静な状態を涅槃寂静の境地と言い表しております。

諸行は無常である、諸法無我であると頭で理解していても、何かしらの苦に会えば、苦が感じてしまうのが私たち人の性であり、その今の苦を消していくために、未来に苦に会っても苦を感じない自分にしておくために、日頃から清らかな生き方を念じつつ、道の修行を重ねていくのだといえます。

茶道は仏法をもって修行するものであり、茶道そのものが仏道であるともいえます。

そのため、茶道を仏道と念じ、一挙手一投足の修行を重ねていくことで智慧が磨かれ、苦しみを生み出す煩悩がその智慧によって一つ一つ切断していくことができるのです。

少しずつでも煩悩が消滅させていき、無明が除かれ、我がないのだと徹することができていけば、和敬清の三つもないのだと、念じる必要もないのだということに気づいていき、最終的には茶人の目指している寂の境地に自然と入っており、寂がすべてを包み込んでいる状態に至るのではないかと思うのです。

お釈迦様はこのような言葉を残しています。

究極の真理へと到達するために

精励努力し

心ひるむことなく、おこない怠ることなく

足取り堅固に、体力、智力を身につけて

犀の角の如く、ただ独り歩め。

他人の間違に目を向けるな。

他人がした事、しなかった事に

目を向けるな。

ただ自分がやった事、やらなかった事だけを見つめよ。

侘びの一字は一人の人間が家で静かにジッと座っている様子を表していると言われています。

ただ静かに自己を徹底的に見つめて、ただひたすらに修行を重ねていくことが茶道の大事なのでしょう。

そのことを忘れずに私もただひたすらに修行を重ねていきたいと思うのです。

さて、親しい人や愛する人との別れ、いつかは別れるものだとわかっていても、いざその時が来たらとどめなく溢れる一粒の涙、その涙が大地を濡らすのも、私たち人の無常の現れだと思うのです。

悲しみに出会えば大いに悲しみ、喜びに出会えば大いに喜べばよろしいのです。

そんな人の営みもまた尊いのであり、真実なのであります。

最後までお読みいただきありがとうございました。

茶僧 宗芯清竜