布薩のお話

In 私ノ茶乃湯考 by user

先月、二回の布薩を志竜さんと行いました。

布薩とは半月に一度、結界にいる比丘たちが集まり、パーティモッカとよばれる比丘波羅提木叉 の二二七の戒律を読み上げ、自省する会といえます。

波羅提木叉を佐々木閑先生は広い意味においてとらえると、悪行から自分を護る心構えのバリアーであり、在家の五戒や八戒なども含むとし、狭い意味では、律蔵で禁止されている犯罪行為のリストとしています。

二二七の学処は後者の狭い意味において使われており、正式な僧侶と認められる比丘になってはじめて守るべきこととされています。

男性と女性で戒律の数は違いますが、二二七学処は男性比丘向けの戒律が書かれています。

毎月二回地域のお坊様たちが集まり、僧侶としての戒の条目を確認し、自分自身が戒を犯していないかなどと深く反省する大切な儀式ともいえます。

布薩を行う前にしなければいけないものは九種類あります。

一 布薩の場所の清掃を行う事。

二 燈明を灯すこと。

三 座所を設ける事。

四 飲用水、使用水の用意をすること。

五 志欲の条件にかなった比丘の志欲を伝言すること。

六 その同じ比丘たちのうちで、布薩に参加しない者たちの清浄を伝言すること。

七 季節を告げる事。

八 比丘の人数を数える事。

九 比丘尼を教誨する事。

この九種を事前に行う必要があるとされています。

この中でも最後の比丘尼を教誨するという項目は今の時代にそぐわないものでありますが、男性の集まりからはじまった仏教サンガの名残がここにあらわれています。

日本では、律の導入がされていないため、上座部仏教圏のような厳格な布薩、律による罰則などの行使などは行われてきていないとされていますが、戒がないというわけでありません。

例えば、三聚浄戒は大乗仏教の根本精神を表しており、また十善戒と親しまれる戒は菩薩の戒ともよばれており、菩薩乗の道を選択してきた大乗仏教圏では、大切な戒とされています。

三聚浄戒の内容は第一摂律儀戒、第二摂善法戒、第三摂衆生戒です。

菩薩十善戒は第一不殺生戒、第二不偸盗戒、第三不邪婬戒、第四不妄語戒、第五不綺語戒、第六不悪口戒、第七不両舌戒、第八不慳貪戒、第九不瞋恚戒、第十不邪見戒です。

これらの大乗仏教圏で大切にされてきた戒に罰則などはありませんが、受戒した者が慚愧懺悔を繰り返しつつ、自ら戒を保とうと努力していくことが大切だとされています。

戒とは守らないとダメというものではなく、守ろうとしても守り切れない愚かな自分を反省しつつ、よりよい自分へ少しずつ変革していくための戒でもあり、よき習慣を少しずつ身につけていくものでもあります。

お釈迦様は戒律について「善なる法の初め、それは、波羅提木叉の防護によって護られ、行いと場所をわきまえ、わずかな罪も恐れて、学ぶべき事柄を正しく保持して暮らすこと。そのうえで、四念処を修行せよ。」とお説きくださいました。

四念処とは、身は不浄、受は苦、心は無常、法は無我の「身受心法」の四つをいいます。

さて、このような大乗仏教圏の戒律ですが、鎌倉の円覚寺さまでは、この布薩が行われています。

私が深く尊敬申し上げている横田南嶺管長猊下のブログなどからその様子を学ばせていただきました。

私自身、布薩をしていくにあたり、まずは本来の戒律をとおもい、大乗仏教の戒律のみならず、波羅提木叉の二二七の戒律を学び、すべて覚えて、実践、守っていこうとしたのですが、どうしても日本の仏教では、ことに難しい課題があるように思う条目が波羅提木叉にあり、また風土的にも馴染まないものもありました。

これはどうしたらいいのか・・と悩んでおりましたら、横田南嶺管長猊下と佐々木閑先生の対談にて、円覚寺さまで布薩をしていることを知り、大きな感銘をうけ、助けていただいた思いになったのであります。

願うところは、直接円覚寺さまにお伺いして学びをいただきたいのですが、周りの方に支えられて生きている私は、行けるほどの財力もありません。

しかし、管長猊下はブログにて布薩について書かれているものがあり、その内容を学ばせていただきました。

管長猊下は、午前三時に起きられ、百八回の五体投地され、その後、YouTubeにご法話を投稿してくださいます。

なんとも有難く、深く尊敬するお坊様であります。

さて、円覚寺さまの布薩と文言なども参考にさせていただきながら、志竜さんとともに戒を省みる機会として、深く自省する機会として、月二回の布薩をこれからも行っていきたいと思うのであります。

布薩の流れについて書き記したいと思います。

ご興味があり受戒されたことのあるお弟子さんがおられたらご一緒にしていただければと思いますが、こちらの内容は出家者向けの布薩なので、別に定める布薩のやり方でご一緒にできればと思います。

また布薩を志すお坊様のご参考になれれば幸いでございます。

布薩の流れ

一 焼香

自ら過ちをなさば自ら汚れ、

自ら過ちをなさざれば自ら浄し、

けがれと清浄とは 

すなわち己にあり 他に依て浄めらるることなし。

一回礼拝

二 布薩の意義

我本師釈迦牟尼佛の戒光は是れ諸佛の本源にして行菩薩道の根本、大衆諸佛子の根本なり この故に今應に同じく諸佛の法戒を受け保ち奉り布薩を行ぜんとす。

一回礼拝

三 般若心経

四 三礼(五体投地)

五 礼拝(五体投地)

一心頂礼 南無蓮華台上盧舎那仏(なむ れんげ だいじょう るしゃなぶつ)

唱和「慚愧懺悔六根罪障滅除煩悩滅除業障」

一回唱和ごとに礼拝

その繰り返しを三十三回

一心頂礼 南無千光王座釈迦牟尼仏(なむ せんこう おうざ しゃかむにぶつ)

唱和「慚愧懺悔六根罪障滅除煩悩滅除業障」

一回唱和ごとに礼拝

その繰り返しを三十三回

一心頂礼 南無文殊師利菩薩

唱和「慚愧懺悔六根罪障滅除煩悩滅除業障」

一回唱和ごとに礼拝

その繰り返しを三十三回

一心頂礼 南無普賢菩薩

唱和「慚愧懺悔六根罪障滅除煩悩滅除業障」

一回唱和ごとに礼拝

その繰り返しを三十三回

過去荘厳劫千佛(かこ しょうごんこう せんぶつ)

現在賢劫千佛(げんざい けんこう せんぶつ)

未来星宿劫千佛 (みらい しょうしゅくこう せんぶつ)

唱和「南無三世三千諸佛(なむ さんぜ さんぜん しょぶつ)」 

一回唱和ごとに礼拝

その繰り返しを三十三回

一から五までで計百七十回礼拝

六 懺悔文

我 昔より造るところの諸々のあやまちは  

唱和「皆、はてしなき むさぼり いかり おろかさによる

身(からだ)と口とこころより生ずるところのもの

すべて 我 今みな懺悔したてまつる。」 

一回礼拝 

最初に戻り三回繰り返す

計三回礼拝

七 三帰戒

南無帰依仏 

唱和「自ら佛に帰依したてまつる

当(まさ)に願わくは、衆生(しゅじょう)とともに

大道を体解(たいげ)して、無上心を発(おこ)さん。」 

一回礼拝

南無帰依法 

唱和「自ら法に帰依したてまつる

当に願わくは、衆生とともに

深く経蔵に入りて、智慧海の如くならん。」 

一回礼拝

南無帰依僧 

唱和「自ら僧に帰依したてまつる

当に願わくは、衆生とともに

大衆を統理して、一切無礙ならん。」 

一回礼拝

最初に戻り三回繰り返す

計九回礼拝

八 三聚浄戒

第一摂律儀戒

唱和「御仏のみ教えにしたがい、過ちのない行いを日々念じ生きていきます。」

第二摂善法戒

唱和「御仏のみ教えにしたがい、善き行いにつとめていきます。」

第三摂衆生戒

唱和「御仏の作すが如く、いのちと人の世に誠を尽くしていきます。」

一回礼拝

九 菩薩十善戒

第一不殺生(ふせっしょう)

唱和「生きとし生けるものすべてを慈しみます。」

第二不偸盗(ふちゅうとう)

唱和「人様のものを盗まず、奪いません。」

第三不邪婬(ふじゃいん)

唱和「邪な淫欲にふけることなく、つとめます。」

第四不妄語(ふもうご)

唱和「嘘や偽りを語らず、才知や徳を騙(たばか)ることはしません。」

第五不綺語(ふきご)

唱和「真実なき言葉を飾り立てて、人に諂(へつら)い迷わすことをしません。」

第六不悪口(ふあっく)

唱和「人を見下し、驕(おご)り高ぶり、悪口や陰口を言うことをしません。」

第七不両舌(ふりょうぜつ)

唱和「人の交わり乱す言葉を語り親しき仲を引き裂くことをしません。」

第八不慳貪(ふけんどん)

唱和「仏のみこころを忘れ、貪りの心にふけることをしません。」

第九不瞋恚(ふしんに)」

唱和「不都合なことにであっても耐え忍び、怒りに身を任せることはしません。」

第十不邪見(ふじゃけん)

唱和「心を正しく整えて、錯覚を起こさないようにします。」

一回礼拝

唱和「私達は、仏陀釈尊のみ教えを深く学び、智慧を磨き続けます。

仏陀釈尊の慈悲のこころを実践するために絶え間なく修行いたします。

如何なる理由があろうとも、決して人に暴力、暴言を与えることはいたしません。

また、修行僧同士常に尊重し合い、お互いの名を呼び捨てにすることはいたしません。

一人一人の仏心仏性を拝みあい、ここに仏陀の弟子として恥じることのない、和敬清寂を求めいく道場を築くことを誓います。」

三回礼拝

十 十重禁戒

第一殺生戒 

唱和「生きとし生けるものを害したり、殺すことをしません。」

第二偸盗戒 

唱和「人のものを盗み取ることをしません。」

第三淫欲戒 

唱和「道理に逆らった愛欲を犯すことをしません。」

第四妄語戒 

唱和「嘘偽りを口にしません。」

第五沽酒戒(こっしゅかい) 

唱和「酒を飲み修行を怠ることをしません。」

第六説四衆過罪戒(せつししゅかかい)

唱和「他人の過ちばかりを見つけ、責めたりはしません。」

第七自讃毀他戒(じさんさたかい)

唱和「自分を誇り他人を傷つけることをしません。」

第八慳貪戒 

唱和「物でも心でも人に施すことを惜しむことはしません。」

第九瞋恚戒 

唱和「怒りに身を任せて自分を見失わないようにします。」

第十謗三寶戒(ほうさんぽうかい)

唱和「仏法僧の三宝をそしりません。」

一回礼拝

十一 求寂戒

第一不殺生(ふせっしょう)

唱和「生き物を決して殺しません。」

第二不盗(ふとう)

唱和「人様の大事なものを決して盗みません。」

第三不婬(ふいん)

唱和「一切の性行為をいたしません。」

第四不妄語(ふもうご)

唱和「決して嘘をつきません。」

第五不飲酒(ふおんじゅ)

唱和「決して酒を飲みません。」

第六不著香華鬘不香塗身(ふじゃくこうげまんふこうずしん)

唱和「身を飾ったりすることを一切いたしません。」

第七不歌舞倡妓不往観聴(ふかぶしょうぎふおうかんちょう)

唱和「音楽や踊りなどを鑑賞しません。」

第八不坐高広大床(ふざこうこうだいしょう)

「立派な家に住んだり、大きなベッドで寝たりしません。」

第九不非時食(ふひじじき)

唱和「正午以降に食事をしないように気を付けます。」

第十不捉持生像金銀宝物(ふそくじしょうぞうこんごんほうもつ)

唱和「財産や資産を有したり、貯蓄を一切いたしません。」

一回礼拝

十二 苾蒭戒(具足比丘戒)

※具足比丘戒は250の戒律がありますが、受戒していない方にはその内容を詳しくお伝えすることができないので、書くことができません。

唱和「私たち比丘は仏陀釈尊の定められた正式な戒律の中でも重要視される比丘波羅提木叉の二二七学処に最も重きをおき、心に念じ続け、実践し続けることを誓います。」

三回礼拝

十三 五大願

衆生は無辺なれども  誓って度わんことを願う

福智は無辺なれども  誓って集めんことを願う

法門は無辺なれども  誓って学ばんことを願う

如来は無辺なれども  誓って事えんことを願う

菩提は無上なれども  誓って証らんことを願う

衆生無辺誓願度(しゅじょう むへん せいがんど)

福智無辺誓願集(ふくち むへん せいがんじゅう)

法門無辺誓願覚(ほうもん むへん せいがんがく)

如来無辺誓願事(にょらい むへん せいがんじ)

菩提無上誓願証(ぼだい むじょう せいがんしょう)

一回礼拝

唱和「前回の布薩から今回の布薩までの間に、戒にもとる行いがなかったか、みずから反省し、今回の布薩から次回の布薩まで、戒にもとる行いがないように心に誓います。」

一回礼拝

唱和「私たち比丘は仏陀釈尊の定められた正式な戒律である比丘波羅提木叉の二二七学処を決しておろそかにせず心に念じ続け、菩薩の道を実践し続けることを誓います。」

一回礼拝

十四 黙想

三分黙想

十五 茶礼

仏さまにお茶をお供えする

三回礼拝

流れや内容の一部は少し違うのですが、円覚寺さまの布薩の文言、流れなどを主に参考にさせていただきましたが、求寂戒や苾蒭戒については円覚寺さまの布薩では出てこないため、お読みいただいた方々は誤解ないようにお願いいたします。

円覚寺さまの修行僧の皆様、横田南嶺管長猊下に深く、深く感謝申し上げます。

布薩を通して、より戒を見直し、持戒のおもいが香となっていけるように精進させていただきます。

しかし、この戒を守るという善に酔わないように自分を強く戒めなければとも思うのであります。

お弟子さんにも願いがあります。

私に戒にもとる行いが日常であれば、遠慮なくお叱りください。

つとめて反省させていただきます。

私は、本当にありがたい、もったいない中に過ごさせていただいているのだと強く自覚いたします。

私の一日のはじまりは読経と数十回の五体投地、坐禅、お茶にはじまります。

その後もお茶を点てたり、茶道や仏教を学んだり、読経と五体投地、坐禅を一日中して過ごします。そして、寝る前に戒にもとることがなかったかを心の中で慚愧懺悔し、眠りにつきます。

スマホもありますが、スマホを見ることはほとんどなく、見るといっても勉強のため、連絡を返すことに使うことがメインです。

出かけることもほとんどなく、家にこもり修行ばかりさせていただいております。

世の中でお忙しく働いている方と比べると、本当に申し訳ない生活をしているのであります。

このような生活をしているのですが、ありがたいことに多くの方が支えてくださいます。

私の道を支えてくださる方に恵まれ、本当にありがたい気持ちでいっぱいであります。

そういう方々の思いを裏切らないようにしていかなければならないと思うのであります。

お師僧さまに言われた「命がけで人々を救おうとする仏道を歩むのが僧侶であります」というお言葉も心にとどめ続け、人々に寄り添い続けたいと思うのであります。

こんな私に対してお葬式や法事、法要、お授けをしてほしいと言っていただくことがあるのですが、そのようなことをできる立場でもないのでお断りさせていただいております。

社会的に地位や名誉のある役職に就くことも、無才の私ではご迷惑をおかけするので、お断りしております。

私の身をこえた多大なお布施も最低限の生活に私は満足しているのでお断りしております。

何かをしてくれたからということでのお布施も受け取りません。

何にもお役にたてないばかりで、お断りばかりで申し訳なく思います。

私は将来家がなくなろうとも、食べていけなくなろうとも、この身ひとつで修行をさせていただき、平気につとめて、そのまま死が尋ねに来ても最上の友である死をもてなし死にいく覚悟があるので、ご心配には及びません。

このようなわがままばかりで申し訳ないのですが、もし一服のお茶を飲みに来たい方がいましたら、いつでもお尋ねください。

一服のお茶を通して、少しばかりのお話をさせていただくことはできるので、いつでもお越しいただければありがたく思います。

一服のお茶で少しでも元気になっていただければありがたく思います。

仏教詩人である坂村真民先生の「念ずれば花ひらく」というタイトルの詩をご紹介させていただきます。

「念ずれば 花ひらく」

苦しいとき 母がいつも口にしていた

このことばを

わたしもいつのころからか

となえるようになった

そうしてそのたび

わたしの花がふしぎと

ひとつひとつひらいっていった

最後までお読みいただきありがとうございました。

佐々木 清竜